シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

平乃たか子

反・家出少女の哀歌ー平乃たか子

東京を中心とするシャンソン界が、日本におけるシャンソンの普及を目的とする一方、名古屋のそれはフランスで通用するシャンソン歌手の育成を目的としている。名古屋が、日本とフランスの歌手の交流を図る「日仏シャンソン協会」の本拠地であるからとはいえ、なぜこうした差異が生じているのか、そのきっかけが気になっていた。
最近YouTubで、協会の理事・加藤修滋が、名古屋のシャンソンの歴史について語った動画を見つけた。加藤が、名古屋のシャンソンの草分けとして挙げたのが、平乃たか子という歌手である。

平乃たか子は、昭和10年に名古屋で生まれた。中学高校でクラシックを学び、その後は銀巴里の創設者でタンゴのバンドマスター、原孝太郎の門下生になる。同門には、美輪明宏戸川昌子、仲代圭吾がいた。昭和36年より、NHKのラジオやテレビの音楽番組に出演する。この頃から、彼女は故郷の名古屋に留まり、芸能活動をしていたそうだ。
昭和49年にはフランスの歌手、アラン・バリエール(Alain Barriere)、翌年にはジョセフィン・ベイカー(Josephine Baker)を自身のリサイタルのゲストとして招致し、その後もフランスで歌手活動をしていた時期もあった。
平成5年に闘病のため活動休止。復活するも、うつ病認知症のため再び休止し、平成27年にリサイタルを再開した。平成29年にリサイタルを開いたのは確認できたが、その後の消息を調べることはできなかった。

彼女の経歴もさることながら、一貫して名古屋という地方都市にいながら、これほどのバイタリティーをもって活躍していた人がいたというのが驚きである。加藤は、平乃の歌声を「越路吹雪以上」と評し、彼女の姿を追いかけてシャンソンを志す若者が増えたことを評価している(そのなかに、シンガーソングライターの柴田容子がいたそうだ)。

そこまで言われると、彼女の歌声がどのようなものだったのか気になってくる。今回、二枚の盤を入手した。昭和55年のリサイタルの実況録音盤「すべてをあなたに」と、平成4年発売のオリジナル曲の8センチシングルである。

すべてをあなたに」は、愛知文化講堂で行われたライブ盤で、編曲は前田憲男、バンドは東京で活躍するミュージシャンという豪華なものだ。
プログラムを見ると、よく知られたシャンソンの名曲に加え、ミッシェル・サルドゥー(Michel Sardou)「恋のやまい(La maladie d'amour)」や、ダリダ(Dalida)「すべてをあなたに(Tout au plus)」などの、あまり知られてない意欲作、ペリー・コモ「It's impossible」などのシャンソン以外の曲にも挑戦する。
彼女の歌声は、例えるなら中原美沙緒に似ており、感情を込めて歌い上げても抜群の安定感を維持していることに驚いた。その上、曲の合間のMCは、まるで台詞のように情感がこもっている。ラジオやテレビで仕事をした経験が生かされているのだろう。

ところで、プログラムのなかには岩谷時子訳詞の越路吹雪のレパートリーだったシャンソンが数曲ある。それらの曲を歌うとき、平乃は意図的に越路の歌い方に寄せているのが分かる。決して物真似ではなく、越路の歌い方を意識しつつも、上記のようなテクニックが巧みなので、嫌味に聴こえない。このあたりが、越路以上という評価の由縁だろう。
平乃が越路を意識するのは、ライバル心からではない。東京ではない地方都市でも上質なショーを発信することができるという、自信の表れだろう。東京中心のシャンソン界への彼女の反発が、現在の名古屋のシャンソン界に繋がったのである。

しかし、このライブの1ヶ月後に越路吹雪が死去したことを思えば、侘しさを思わずにはいられない。越路が去り、彼女もまた張り合いのようなものを失っていったのではなかろうか。

平成4年発売のオリジナルシングル「これからの風景/私のアマン」は、平乃の声量の衰えが顕著に見られる。この編曲も前田憲男であるが、それに歌唱が乗り切れていないのが気になる上に、歌詞も凡作であまり良くない(特に「私のアマン」の作詞が、当時名古屋在住だった歌人の春日井建で、私が学生時代に彼の歌集を愛読しただけに、手抜きの内容には怒りすら覚える)。
歌の才能と、ショービジネスへの強い意思が感じられるからこそ、彼女の歌い手としての半生は悲愴に満ちている。

現在は東京や地方関係なく、シャンソンは下火になっていると言ってもいい。こうした過去を紐解くと、日本中でシャンソンが燃えていた時代が確かにあったのだと、羨ましさを感じる。
同時に、情報網が発達したボーダーレスのいまの時代、なにかひとつ大きな花火を上げてみたくなるワクワクを受け取ったような気にもなる。

追記
平乃たか子さんは、2021年に亡くなりました。