シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

坂東玉三郎

「高踏な情歌 ー坂東玉三郎「枯葉」ー」

昨日、11月7日は、越路吹雪の命日であった。Facebookを見ると、シャンソンファンは各々の思いを抱いて、彼女を偲んでいたようだ。

私は、昨日NHKで放送された「うたコン」という歌番組を観た。歌舞伎役者の坂東玉三郎が、越路を偲んで「枯葉」を歌ったからである。
番組で玉三郎が「枯葉」を歌ったのは、同日に越路のシャンソンをカバーしたアルバムを発売したからである。彼が越路の熱烈なファンであるだけに、アルバムの収録曲はマイナーな曲ばかりで唖然としてしまったが、番組ではよく知られた楽曲を選んだことにひとまず安心した。個人的には「ユーヌ・シャンソン」など聴いてみたかったが、多くの人が越路を偲ぶためにはやはり広く知られた楽曲が放送されるべきである。

玉三郎の歌唱とステージアクトは素晴らしかった。黒のラメが入ったジャケットを着ているのにもかかわらず、玉三郎の身のこなしを見ているうちに、だんだんとそれが豪奢なドレスに見えてくるのは不思議であった。芸歴60年の女形がみせる奥義である。
あと、彼の歌舞伎役者特有の彫りの深い顔は舞台映えする美しさを湛えている。私が思い出したのは、写真でしか見たことがない、シャンソン歌手のダミアの顔だ。顔つきで楽曲の世界観を語る、こういう人は稀である。

玉三郎の歌声は、「高踏」という言葉がふさわしい。彼が番組のロケ地として選んだ横浜の洋館の一室に、あるはずのない大劇場の緋色の緞帳が降りてきそうな錯覚をおこすくらい高尚な雰囲気を醸し出していた。
思えば、日本のシャンソンに「高踏」というイメージが払拭されて久しい。今の日本にあるのは、シャンソンは取っつきにくいというイメージである。しかしながら、玉三郎は「シャンソンは高踏な情歌」だというイメージ、さらに言えば「シャンソンは高踏でなければならない」という信念を抱いているのではないだろうか。彼はきっと今の日本のシャンソン歌手に「高踏」を求めることができないのを知っているだろうし、高踏なシャンソンを歌えるのは自分だけだという自負を抱いているのだと思う。私は彼の歌う姿から、戦時中にもんぺを嫌いドレスを纏った淡谷のり子のような意思の強さを感じずにはいられないのである。

玉三郎の「枯葉」は、普段からシャンソンを聴き流している私でさえ、思わず身じろきしてしまうものであった。現在、多くのシャンソン歌手が次世代にシャンソンを広めていくために、いかにして従来の取っつきにくいイメージを払拭するかを模索しているなかで、彼の歌うシャンソンが糧となるのか毒となるのかを早急に判断することはできない。
しかしながら、越路追悼のはずの一夜が、思いがけず日本のシャンソンの未来を考える一夜になってしまったことは、私にとっても予想外であった。