シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

北村維章

調和の美ー北村維章のタンゴ

日本のシャンソンの古い資料を見ていると、「当時、日本最大のタンゴとシャンソンのオーケストラのバンドマスター」の北村維章(きたむらこれあき)という人の名前を目にすることがある。

北村維章は、1919年に鹿児島生まれた。旧制中学時代に、シャンソンの影響を受けた作曲家の高木東六に師事し、彼に聴かされたタンゴのレコードを通じて、タンゴに目覚める。
戦後、「北村維章と東京シンフォニック・タンゴ・オーケストラ」のバンドマスターとして活躍する。彼は労音を活動の場にしていたことから、岸洋子や山本四郎、菅原洋一などの、シャンソン、タンゴ歌手との共演が多かった。また調べてみると、日本の民謡をオーケストラ用に編曲して、コンサートのプログラムに組んでいるのも多く見られた。かつて日本の民謡を洋楽風に編曲したのが流行った時期があったが、案外北村がその草分けかもしれない。
89年、没。

たびたび、私は北村の名前を引用することがあったが、実際に彼の演奏を聴いたことがなかった。正直、演奏モノのレコードにはプレミアがついていることが多い上にあまり興味がなかったので、手に入れたいリストの優先順位外だったのだ。
しかし、行きつけのスーパーの廉価CDコーナーで北村のアルゼンチンタンゴのアルバムが売られているのを発見してしまったのである。「ああ、いよいよ北村維章を聴くべきときが来たのか」と思い、買い求めた。

聴いて驚いたのは、とにかく演奏が繊細なのである。「このパートは、この楽器で!」というバンマスのこだわりが調和する楽曲の数々は、切子ガラスの器のような技巧美に溢れている。
哀愁漂う「バルナバス・フォン・ゲッツィ楽団」と「原孝太郎と東京六重奏」、華麗な「アルフレッド・ハウゼ楽団」、神経質なアストル・ピアソラ、私が今まで聴いたタンゴの演奏とは異なる、新たな世界が広がった。

北村は昭和30年代のインタビューで、
「音楽は調和の美というものが大事なので、必然性があり、はっきりとした根拠があるものは、人を感動させる」
とのべている。
当時のシャンソン歌手たちは音楽学校出身者が大半で、のアカデミックな歌い方が正道だった。こうした歌手を支えたのが、北村の精緻な演奏であり、ある種の厳格さだったのを伺い知ることができた。

『ラ・クンパルシータ アルゼンチンタンゴムード』
淡き光に
ラ・クンパルシータ
アディオス・ムチャーチョス
夜明け
ガチョウの嘆き
エル・チョクロ
ママ恋人がほしいの
インスラシオン
タンゲーラ
黄昏のオルガニート
ラ・モローチャ