シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

97年 パリ祭

シャンソン歌手以外の人にシャンソンを ー97年 第35回パリ祭ー」

今回は第35回パリ祭(1997年7月10日 東京厚生年金会館大ホール)の映像を観る機会に恵まれたので、レポートしたい。
このときのシャンソン界の状況を見てみると、前年の1996年はベテラン歌手の中原美紗緒が死去し、越路吹雪17回忌にあたる年であった。また越路の17回忌を追悼して「拝啓、越路吹雪様」(画像参照)というトリビュートアルバムが発売された。
以上を踏まえて、当日のセットリストを見てみたい。

「第35回パリ祭」
司会 永六輔 木原光知子

・ 神戸市混声合唱団(北村協一指揮)「谷間に三つの鐘が鳴る」
・ パトリック・ヌジェ「ラ・ジャヴァネーズ」
・ 堀内美希「ミロール」
・ かいやま由起「聞かせてよ愛の言葉を
・ 仲代圭吾「俺はコメディアン」
・ マーサ三宅「帰り来ぬ青春」
・ ピーコ「過ぎ去りし青春の日々」
・ 大木康子「歌い続けて」
・ 新井英一「アムステルダム
・ 新井・石井好子「人の気も知らないで」
・ ペギー葉山シャンソン
       「ドミノ」
・ 石井・マーサ・ペギー「ドリーム」

・ TV JESUS 「サ・セ・パリ~セ・シ・ボン」
・ 坂本スミ子「別れの朝」
       「エル・クンバルチェクロ」
・ 永六輔「黒い花びら」
・ 木原光知子「哀しみのソレアード」
・ 山本リンダ「愛の追憶」
       「パリは不思議」
・ 森光子「恋心」
・ 芦野宏「薔薇色の人生」
     「カナダ旅行」
     「ブン」
・ 石井好子「初日の夜」
      「愛の賛歌」

まず気づくのは、出演者の大半がシャンソン歌手ではないことだ。マーサ三宅ペギー葉山はジャズ、坂本スミ子はラテン、新井英一はフォーク、TV Jesusはロックユニットである。さらに、女優の森光子や司会である永六輔木原光知子まで歌っている。
これは石井好子が長くプロデュースしていた「石井好子シャンソンの夕べ 難民支援コンサート」が由来している。石井は、若い頃にヨーロッパでの生活を通じて難民支援に関心を持っており、彼らを支援するコンサートを毎年開いていた。
このコンサートのコンセプトは、シャンソン歌手以外の人にシャンソンを歌ってもらうというもの。このコンサートがはじめて開かれたのが、このパリ祭の前年の96年と97年の春であった。このパリ祭は、「石井好子シャンソンの夕べ」を踏襲するプログラムなのであり、シャンソンシャンソン界だけに留まらず、広く普及させたいという石井の願いが込められている。

特に注目したいのは、石井・新井「人の気も知らないで」とTV Jesus「サ・セ・パリ~セ・シ・ボン」だ。この2曲は先にのべた「拝啓、越路吹雪様」に収録された曲であり、当時のシャンソン界が他ジャンルと迎合して革新を試みようとしていたことが伺える。特にTV Jesus のボーカル、有近真澄(作詞家・星野哲郎の息子)はロック歌手には珍しい渋い歌声でシャンソンの古典を、その雰囲気を壊さぬようにアレンジして歌っている。彼は、ROLLYやNEROなどのシャンソン界で活躍するロック出身歌手の草分けだと言ってよい。

また注目したいのは、石井、マーサ、ペギーがジャズの「ドリーム」を歌っていることだ。
この曲は石井のエッセイにかならずと言っていいほど引用されており、彼女がシャンソン歌手になる前に日向好子の名前でジャズ歌手をしていたときに大切にしていたレパートリーであった。

心が沈みがちなとき 夢を見ましょう
物事は思い悩むほど
悪い方にばかり ゆくものではないのだから
さあ 夢を見ましょう

この曲を、石井の同時期に活躍したマーサ、後輩のペギーと三人で歌う姿を観ることができるとは思っていなかったので、ファンにとっては嬉しいプログラムである。

ところで今回のパリ祭は、大木康子がカムバックしたステージであった。ピーコが「(大木は)私が長くおっかけをしていた歌手ですが、私がシャンソンを習い始めた頃にステージを降りられました。でも今日は、石井さんのために、とのことで出演していただきました」と述べている。しかしながら、大木がなぜステージを降りたのか、その理由を私は知らない。思えば、私は大木の経歴をあまり詳しく知らないことに気付いた。この記事をご覧になって、ご存じの方がいらっしゃったら、ご教示ください。