シャンソン愛

峰艶二郎(みね えんじろう)による、シャンソンについて綴るブログです。著書『戦前日本 シャンソン史』(1500円.完売)。htmt-mth@ezweb.ne.jp

2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧

新田芳子

銀の唇 新田芳子シャンソン喫茶・銀巴里では、美輪明宏の前座をつとめるのがひとつのステータスだったという。それを長年つとめたのが新田芳子だった。 彼女は、昭和16年に満州奉天生まれ。幼少の頃に事故や病気を患い、身体障がいになる。しかし彼女は、「…

日本のシャンソン運動

かつて、ソノシートというものがあった。ペラペラのビニールに溝が掘られたレコードで、主に雑誌の付録として使用された。 そのソノシートを初めて普及させたのが『歌う雑誌 KODAMA』という雑誌であった。コダマプレス刊、昭和34年創刊である。ポピュラーや…

山本四郎

シルクの夢魔 山本四郎「浦島太郎」先日の「【追悼】魅惑の歌声 山本四郎」は、多くの方に喜びの声をいただき、大変嬉しいです。ありがとうございます。ちょうどCDの作業が一段落ついた時、山本四郎の新たなレコードを入手した。 「浦島太郎」 これは、童話…

直村慶子

訳詞家・直村慶子と俳句日本のシャンソン歌手はイタリアの流行歌・カンツォーネをレパートリーにする人が多い。その理由は諸説があるが、昭和20、30年代の音大出身のシャンソン歌手が学校でイタリア歌曲を学んでいたため、比較的イタリア語に長けていたから…

村上進

村上進のビデオ先日の直村慶子の記事を通じて、読者の方々が村上進への思いを綴ってくださり、大切に読ませていただいた。今回は彼ついて記してみたい。村上進 1948年生まれ。65年にアイドル歌手としてデビューし、その後タンゴ歌手として労音や民音で活躍す…

五木ひろし

シャンソン歌手の石井好子が主催したシャンソンのイベントといえば毎年7月の「パリ祭」だが、もうひとつ「朝日チャリティーコンサート シャンソンの夕べ」というものがあった。これは、彼女が国連難民高等弁務官の緒方貞子と親しかったことがきっかけで開催…

薩めぐみ

シャンソンという鎧ー薩めぐみ Ⅰフランスのシャンソン歌手の経歴を見ると、移民が多いことに気づく。アズナブール、ブレル、ダリダ、ムスタキ、アダモなど、よく知られる歌手たちはフランス出身者ではないのだ。「フランスは旅行者には天国、移民には地獄」…

薩めぐみ

シャンソンという鎧ー薩めぐみ Ⅱ日本からフランスに渡り、1920、30年代の「文学的シャンソン」を歌った薩めぐみは、徐々に現地で知られるようになった。1975、6年頃には、彼女のリサイタルがテレビで放送されるようになる。 そのとき彼女が歌うシャンソンの…

薩めぐみ

シャンソンという鎧ー薩めぐみ Ⅲ1979年にジャック・プレヴェールの詩をレコードに吹き込んだ薩めぐみは、日本とフランスで衝撃をもって迎えられた。彼女は、このアルバムを引っ提げて両国でリサイタルを開くが、そのときの衣裳はパリの蚤の市で手に入れた20…

薩めぐみ

シャンソンという鎧ー薩めぐみ Ⅳ薩めぐみは、ジャック・プレヴェールの詩で「戦争と無関心」、ローラン・トポールの詩で「資本主義的幸福の否定と快楽主義」を歌った。 そして彼女は、1984年にサードアルバム『則天去私』(フランス語によるタイトルなし)を発…

薩めぐみ

シャンソンという鎧ー薩めぐみ Ⅴ(完結)薩めぐみは、自身が作詞し、細野晴臣がアレンジしたテクノ調の楽曲「シリコンレディー」によって、移民として、そしてシャンソン歌手として生きる鎧を手にいれた。この鎧が最も効果をもたらしたのは、1986年発売の4枚…

北村維章

調和の美ー北村維章のタンゴ日本のシャンソンの古い資料を見ていると、「当時、日本最大のタンゴとシャンソンのオーケストラのバンドマスター」の北村維章(きたむらこれあき)という人の名前を目にすることがある。北村維章は、1919年に鹿児島生まれた。旧制…

北村維章

調和の美ー北村維章のタンゴ Ⅱ前回、北村維章のアルゼンチンタンゴのアルバムを紹介し、コメント欄に「コンチネンタルタンゴも聴きたい!」と書いたら、早速願いが叶った。 昨日、出先でレコードの投げ売りコーナーを見つけ、『哀愁のコンチネンタルタンゴ』…

宇井あきら

『シャンソン・ド・パリ』、そして宇井あきら『シャンソン・ド・パリ』(昭和37年 水星社)という、ソノシート4枚組を手にいれた。資料としても興味深いものなので、紹介したい。デデ・モンマルトル 「枯葉」 「巴里の悪戯っ子」 ビショップ・節子 「詩人の魂…

美空ひばり

美空ひばりとシャンソン今日は美空ひばりの命日。私は小学生のときから、ひばりちゃんの歌が好きだった。ひばりは歌謡曲だけでなくジャズや端唄なども歌いこなしたが、シャンソンだけはレコードに吹き込まなかった(「愛の賛歌」「薔薇色の人生」などはレコー…

ジョルジュ・ムスタキ

ジョルジュ・ムスタキと船村徹 (告知あり)「私の孤独」「時は過ぎていく」などのシャンソンで知られるシンガーソングライター、ジョルジュ・ムスタキ。そんな彼が、美空ひばりのカバー曲だったことはご存知だろうか。 そのキーパーソンは、作曲家・船村徹。…

青木裕史 (青木清)

仕事にやりがいを見つけるー青木清「みちのく慕情」先日投稿した動画で大塚博堂のことを話しました。その時、シャンソン歌手の青木裕史さんが博堂の曲を歌っていたのを思い出し、氏のホームページに行ってみました。そこで「えっせい」というページを見つけ…

ジュリエット・グレコ

女性シャンソン歌手のジュリエット・グレコ(Juliette Gréco)が死去したという。享年93歳。 数年前に引退を公言し、日本でもコンサートが開かれる予定だったが、本人の体調不良で中止になり、そのまま音沙汰がなかった。 今年の7月、フランスの雑誌にグレコの…

平乃たか子

反・家出少女の哀歌ー平乃たか子東京を中心とするシャンソン界が、日本におけるシャンソンの普及を目的とする一方、名古屋のそれはフランスで通用するシャンソン歌手の育成を目的としている。名古屋が、日本とフランスの歌手の交流を図る「日仏シャンソン協…

黒崎昭二

遥かなる友ー黒崎昭二日本各地のシャンソンの動向について調べていくなか、これまで東北地方はノーマークであった。しかしながら先日、 黒崎昭二『シャンソンと私』 (昭和59年、自費出版・非売品) を入手し、秋田県におけるシャンソンの盛況ぶりを知ることが…

中当ユミ

妖精のカンツォーネ 中当ユミ今回はイタリアの流行歌・カンツォーネについて。日本のシャンソン歌手は、シャンソンだけでなくカンツォーネもレパートリーにする者が大半だ。そのきっかけは、私が調べた限りでは、カンツォーネ歌手の荒井基裕にあると思われる…

黒崎昭二

続・遥かなる友 黒崎昭二以前紹介した、シャンソンを愛し、地元の秋田県でラジオ番組のDJを長年つとめていた黒崎昭二さん。彼のラジオ番組を録音したテープを、シャンソン歌手の水織ゆみ様より謹呈いただきました。この場を借りて、御礼申し上げます。今回頂…

乾宣夫

薔薇の棘 乾宣夫作家の三島由紀夫が没後50年とのことで、テレビで彼を特集する番組を観た。 そのなかで、三島の次のような肉声が流れた。「自分が小説を書くのは、社会を敵と見なす一方で、その社会に認められたいからだ」彼の創作の源は、鹿苑寺金閣のよう…

沢庸子

銀座のミューズ 沢庸子先日亡くなったジュリエット・グレコ(Juliette Gréco)は、パリのサンジェルマン・デ・プレで実存主義の文化人たちに愛されたが、かつて日本のシャンソン界にも文化人のミューズとして君臨した歌手がいた。沢庸子である。本名、井沢庸子…

青木裕史

12月19日、シャンソン歌手の青木裕史(あおきひろし)さんが亡くなりました。 ご冥福をお祈りいたします。以前、私はFacebookで青木さんが「青木清」の名義で発売したレコード「みちのく慕情」を紹介したことがありました。この楽曲の存在は、青木さんのホーム…

なかにし礼

昨夜のクリスマスイブは、シャンソニエ「蛙たち」の、ライブ配信を観て過ごした。 自宅にWi-Fiがないため、今まで配信は遠慮していたが、昨日はたまたま出先のWi-Fiを使って観ることができた。その配信で、トリをつとめた笠原三都恵さんが、珍しいシャンソン…

薩めぐみ

再び、シャンソンという鎧ー 薩めぐみ再考 Ⅰ昨年の外出自粛期間は、札幌出身でパリに渡って活躍した歌手・薩めぐみの研究に没頭した。「シャンソンという鎧ー薩めぐみ」 ①https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=621868818399966&id=100017305596421 ②…

薩めぐみ

再び、シャンソンという鎧ー 薩めぐみ再考 Ⅱ1970年に日本からフランスに渡った薩めぐみは、石井好子のツテでパリのライブハウスで歌い始める。そこで、彼女は1920~30年代のシャンソンに傾倒していく。 彼女が戦前のシャンソンを歌ったのは、日本で「シャン…

薩めぐみ

再び、シャンソンという鎧ー 薩めぐみ再考 Ⅲフランスで歌手活動していた薩めぐみは、詩人のジャック・プレヴェール(Jacques Prèvert)に作品の使用権を認められ、それをもって製作したファーストアルバム「ジャック・プレヴェール」で、頭角を現した。そして…

ダミア

フランスのシャンソン歌手、ダミア(Damia)の最後のレコードは、昭和28年に日本でレコーディングされ、発売された。 この年、ダミアは来日公演を果たし、1ヶ月かけて日本各地でコンサートを催した。そして、コロムビアレコードの東京スタジオで4曲のシャン…